【暦の基礎②】「太陰暦・太陰太陽暦(旧暦)・太陽暦(新暦)」の違いと日本の暦

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 こんにちは、

 りんとちゃーです。

祭日や行事・記念日などを通して、私たちに季節の移ろいを教えてくれる、日々の暮らしに欠かせない「暦(こよみ)」

「暦」には、月の満ち欠けを基準にした「太陰暦」と、太陽の動きと月の動きを組み合わせた「太陰太陽暦」地球の公転に基づいた「太陽暦」の3つの種類があり、私たちが現在使っているのはこの中の「太陽暦(グレゴリオ暦)」になります。

日本では、明治時代まで旧暦の「太陰太陽暦」が使われていて、1872年に新暦である「太陽暦(グレゴリオ暦)」への改暦が行われました。

記事では、以下のことをまとめています。

太陰暦・太陰太陽暦・太陽暦の3つの暦法について
日本の暦と季節感のずれの理由

月と太陽に基づいた暦法の知識を学んで、暦の基礎固めをしましょう。




太陰暦(たいいんれき)

太陰暦(たいいんれき)

「太陰暦(たいいんれき)」は、月の満ち欠け(=月が地球のまわりを周る周期)を基準にした暦法で、月が地球の影に隠れて見えなくなる新月の日を第1日目(朔日【さくじつ】)とし、再び新月になるまでの約29.5日1ヶ月、その12ヶ月分(約354日1年としています。

その起源は紀元前18世紀のバビロニア帝国にまでさかのぼり、イスラム諸国では、イスラム教の断食月(ラマダーン)巡礼(ハッジ)などの祭礼日を測るために、この「太陰暦」が用いられています

イスラム諸国で使われている「太陰暦」は、別名「ヒジュラ暦・マホメット歴」と呼ばれ、その名称は、マホメットがメッカからメディナへ聖遷(ヒジュラ)した年【622年】を「ヒジュラ暦元年」としていることにちなんだものです。

なお、「太陰暦」の日付は月の形を象徴していて、太陰暦の3日の月は「三日月」を、15日頃の月は「十五夜満月」を表しています。

太陰太陽暦(たいいんたいようれき)

太陰太陽暦(たいいんたいようれき)

「太陰太陽暦」は、月の動き(太陰暦)を基準にしながら、一部で太陽の動き(太陽暦)を取り入れた暦法で、別名「旧暦・陰暦」と呼ばれています。

「太陰暦」の1年が約354日(約29.5日×12ヶ月)実際の1年(=365日)よりも約11日短く、このままでは暦と季節にずれが生じてしまうため、3年ごとに閏月(うるうづき)を設置。その年を13ヶ月として、ずれが解消されることになりました。これが「太陰太陽暦」のはじまりです。

古代中国で生まれた「太陰太陽暦」は、その後、飛鳥時代(6世紀頃)に日本に伝来。1872年の改暦までの1300年の間、農作業の目安となる暦として日本人に使われ続けることになります。




太陽暦(たいようれき)

太陽暦(たいようれき)

別名「新暦・陽暦」と呼ばれる「太陽暦」は、地球が太陽のまわりを周る周期(公転)を基準にした暦法で、世界標準の暦にもなっています。

「太陽暦」では、地球の公転1周分を1年として計算しますが、厳密に言うと1年は365.24219日であるため、その誤差を調整するために、4年に一度「閏年(うるうどし=366日)」が設けられています。

現在、暦として世界中で広く使われているのは太陽暦の「グレゴリオ暦」で、歴史的に見ると、「太陽暦」は、「エジプト暦」にはじまり、「ユリウス暦」「グレゴリオ暦」と少しづつ改良されていった経緯があります。

以下は、それぞれの暦の簡単な概略です。

エジプト暦(シリウス暦)

紀元前3000年頃、ナイル川の氾濫が起きる時期の前に決まってシリウスが輝くことから察して、シリウスが見え出す日を1年の始まりとし、もう一度それが見え出す前日までを365日とする暦が考案されました。これが「エジプト暦」、通称「シリウス暦」です。

「シリウス暦」は、月の周期に基づいた12ヶ月(1ヶ月=30日)と年の終わりの安息日(5日間で構成されていて、この暦を利用して、洪水・種まき・収穫というように、時期を区分した農作業が行われていました。

ユリウス暦

「ユリウス暦」は、紀元前46年にローマのユリウス・カエサル(※1)がエジプト暦をベースにして制定した暦で、1年を365.25日とし、4年ごとに「閏年」を設置。1582年までローマで使用されていました。

(※1)ガイウス・ユリウス・カエサル・・英名は「シーザー」、通称「帝王」。共和制ローマ時代の政治家・軍人で、ポンペイウス・クラッススとともに第1回三頭政治を結成。「賽(さい)は投げられた」「ブルータス、お前もか」などの名セリフで知られる。カエサルが生まれた月の7月(ユリウス暦)は「Lulius【ユリウス】(=英語でJuly)」と呼ばれている。

グレゴリオ暦

「ユリウス歴」は厳密に言うと正確ではなく、128年に1日ほどずれが生じていました。そこで、それを補正するために、ローマ法王グレゴリウス13世1582年10月15日に、より細かな暦(1年=365.24219日)を制定。この暦がその後、「グレゴリオ暦」という呼び名で世界中で使用されることになりました。




日本の暦と季節感のずれ

デスクの上のカレンダーとペン

日本は1872年に太陽暦の「グレゴリオ歴」を導入し、この年の12月3日(旧暦)を1873年1月1日(新暦)とする改暦が行われました。

その際に設けられたのが、次のような基準です。

①季節に合わせて旧暦の日付けを1ヶ月遅らせる。
②旧暦の日付けをそのまま新暦に移す。

①の【日付を1ヶ月遅らせる】は庶民の暮らしの知恵から生まれた基準で、新暦は旧暦より約1ヶ月早いことを鑑みて、単純に旧暦の日付けを1ヶ月遅らせて季節のずれを解消しようとしたものです。旧暦のお盆・各地の夏祭り・秋祭りなどで採用されています。

②の【日付をそのまま移動】に基づいているのが、五節句・お正月・七五三などで、この改暦の基準は、私たちの季節感や旬を勘違いさせる大きな要因ともなっています。

たとえば「お正月」は、本来ならば新暦の2月頃に行われるべきですが、②の基準に合わせて、新暦の1月1日に行われています。そのため、季節としてはまだ寒いのに、春の到来を喜ぶ迎春・新春といった時候の挨拶が年賀状に並び、私たちは不自然さや違和感を感じてしまっているのです。




おわりに

いかがでしたでしょうか。

私たちの暮らしに欠かせない年中行事のほとんどが旧暦に基づいており、それらを正しく理解するためにも、「太陰太陽暦」から「太陽暦」へと改暦された歴史的背景や、「旧暦」と「新暦」との間に約1ヶ月のずれがあることを、知識として覚えておきたいところです。

なお、今回の記事の他にも、季節の細かな区分である「二十四節気」や「五節句」「雑節」といった節日、「年中行事」に関することなどを別記事で詳しくまとめています。興味のある方は合わせてご参照ください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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