【小説】「卒業/重松清(新潮文庫)」のあらすじと感想|まゆみのマーチなど

机に広げられた分厚い本読書・小説(重松清)

 こんにちは、

 りんとちゃーです。

表題作の「卒業」をはじめ、精選集にも収められている名作「まゆみのマーチ」や人生の卒業である「死」を題材にした「あおげば尊し」など、新たな旅立ちに向かおうとする4つの家族の『卒業の物語』を描いた短編小説「卒業」。

本記事では以下のことをまとめています。

本の内容紹介と収録作品

収録作品2編のあらすじと感想

著者「重松清」の紹介・プロフィール

物語の大まかな概略が理解できるように、あらすじを詳しめにまとめました。

ストーリーの把握や内容のおさらいとしてご活用ください。




本の内容紹介と収録作品


【Amazon.co.jp】卒業(新潮文庫)/重松清

「わたしの父親ってどんなひとだったんですか」ある日突然、14年前に自ら命を絶った親友の娘が僕を訪ねてきた。中学生の彼女もまた、生と死を巡る深刻な悩みを抱えていた。僕は彼女を死から引き離そうと、亡き親友との青春時代の思い出を語り始めたのだが――。悲しみを乗り越え、新たな旅立ちを迎えるために、それぞれの「卒業」を経験する家族を描いた4編。著者の新たなる原点。

―――新潮文庫「卒業」内容紹介より

この短編集には次の4編が収録されています。

■収録作品


まゆみのマーチ
あおげば尊し
卒業
追伸

以下は、収録作品4編のうちの前半2編(まゆみのマーチ・あおげば尊し)のあらすじと感想になります。




あらすじと感想

まゆみのマーチ

あひるの大行進

母が危篤になったと連絡があり、ふるさとの病院を訪れた私。

妹のまゆみと久しぶりに再会し、お互いの家族のことなど近況を報告し合っていると、まゆみから、入院中に母親によく『まゆみのマーチ』を歌ってあげていたと聞くことになります。

まゆみのマーチ――。それは、母親が小学生のまゆみのために作ってくれた歌でした。

それを聞いた私は、反射的に学校に行かずに家に引きこもっている息子の亮太のことを考え、さらに子ども時代のまゆみに思いをはせます。

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まゆみは歌の好きな子でした。食事のときも寝るときも、どんなときも歌を口ずさみます。そして、歌っているときは本当に楽しそうで、両親はそんなまゆみのことを宝物のように可愛がっていました。

しかし、歌うべきでないところで遠慮なく歌ってしまうまゆみは、小学校に入ってから何度もトラブルを引き起こすことになります。

私は小学校の入学式で挨拶文を読むことになっていたのですが、式の厳粛な雰囲気の中で突然、新入生であったまゆみが大声で歌い出したのです。

私は恥ずかしくて身が縮む思いをしました。そして、練習では上手くいっていた挨拶が思うようにしゃべれず、散々な結果に終わってしまいます。

そんなまゆみのことを決して叱らなかった両親。そのことが私は不思議で仕方ありませんでした。

学校が始まってからもまゆみの歌は止まらず、授業中に臆することなく鼻唄を歌うまゆみに、同級生からうるさいという声があがります。

そこで学校の先生は「マスクをつけて授業を受けるように」とまゆみにお願いをします。

マスクの効果があってか、その日まゆみは歌うことはありませんでした。しかし、放課後になってマスクを外すと、顔が真っ赤に腫れ上がってしまっていて・・。

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ある日、亮介が頭痛を訴え出し、さらに原因不明の体調異常が続き、その後、学校へ行く電車の中で記憶喪失の状態になってしまいます。医師はこう病名を告げました。息子さんは『燃え尽き症候群』です、と。

外の世界に怯え、家から出れなくなってしまった亮介。

そんなことをまゆみに話している最中、母は眠るようにしてこの世を去ってしまいます。

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まゆみの顔の腫れは、家に帰ってからすぐにひきました。しかし、何度も同じことを繰り返すうちに腫れは顔全体に広がり、最後には歌うこともできなくなってしまいました。

後日、担任の先生が「周りの迷惑になる悪い癖を治すため」とマスクの件を弁解しますが、それに対し普段穏和な母が、声を荒らげてこう言いました。

「他人に迷惑をかけることは、そげんに悪いことですか?」

大人としては非常識な理屈でした。ですがその言葉は、私の心に今もくすぐったくよみがえってくる、そんな特別な意味合いを持っています。

それから、学校でマスクをつけさせられることはなくなりましたが、ある日、先生が軽い冗談のつもりで「歌ったらだめよ」とまゆみの唇を挟んだところ、まゆみは口を開くことができなくなってしまいました。さらに、恐怖心を抱いたのか、学校にも通えなくなってしまいます。

学校に行けなくなったまゆみ。それでも娘の「学校が好き」という気持ちを大切にしたいと思った母は、まゆみのそばに寄り添って、一歩、また一歩と外に出る練習を繰り返し続けました。

そんな母がずっと歌ってくれた『まゆみのマーチ』。

私は気になってまゆみに尋ねます。

それはこんな歌でした。

「まゆみが好き、好き、好き、好っき──。」

その後もまゆみは、世の中とうまく付き合えず、仕事を転々としたり、離婚や不倫で両親を悩ませ続けました。

そんな彼女の支えになったのが、母の言ってくれた「好き」という言葉だったのです。

(亮介に「好き」と言ったことがあっただろうか?褒めたり励ましたりしたことはあった、でも好きと言ったことはなかったのではないか・・)

私はそう自分に問いかけます。

その後、私は亮介ともう一度向き合うため、通夜の前に一度東京の家に戻ることにしました。

家に着き、亮介を外に連れ出した私。もちろん無理はさせず、行けるところまででいいから、と言うのを忘れずにです。うららかな陽が差す青空の下、私と亮介は一歩ずつ歩みを進めていきます。

そんな2人のことを、母がどこかで笑って見守ってくれているのではないか――、そう私は感じました。

▶▶死を間際にした母親の病床で妹のまゆみと再会し、彼女と話をする中で、息子の亮平との向き合い方についての手がかりを見出した私。

 

純粋な子どもの心は、ちょっとしたことでいとも簡単に傷ついてしまいます。そして、そんな子どもの傷を癒せる唯一の存在が親であり、たとえ非常識で、周囲を敵にまわすようなことがあっても、親が常に自分の味方でいてくれ、守ってくれるというのは子どもにとって何よりもの救いとなります。

 

小難しい理屈など考えず、ただ親として子どもに愛情を言葉にして注ぐこと。その大切さや尊さを『まゆみのマーチ』の歌とともに美しく描き出した、そんな物語だったように思います。




あおげば尊し

卒業証書と桜の花びら

学校で長年教師を勤めていた父。

そんな父が末期がんに冒され、医者から余命いくばくと聞いた僕と母は、父を家で看取ることになりました。

家に帰り父をベットに寝かせる僕。すると父から「学校の卒業アルバムの入った本棚を持ってきて欲しい」と頼まれます。

父は規律を重んじる厳格な先生でした。だから生徒からは嫌われていました。

父の教育論は『未完成な子どもたちが大人になれるよう、社会のルールや厳しさを教えること』で、それを遵守するため、今まで数多くの生徒たちに容赦ない処分を下してきました。

だから、大人になった当時の教え子で、家を訪ねてきたものや年賀状をくれたものは一人もいません。父はそんな寂しい教師でした。

僕が担任する児童に田上康弘という子がいて、その子は死体に興味を持っています。葬儀場に無断で侵入したり、死体サイトを閲覧したりと、死に対して異常に関心がある康弘。そんな彼の行動は、次第に周囲の子に悪影響を与えていき、同僚の教師から「指導してくれないか」と頼まれることになります。

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衰弱してどんどん体力を失い、最期の時が目前に迫る父。

(父親がもうすぐ死ぬ──。子どもの頃に考えもしなかったことが、大人になった今、目の前に存在する。最期を看取る息子として、何かしてやれることはないのか・・?)

そう僕は考えます。

ある日、卒業アルバムを見ていた父親に、僕は「教え子たちに会いたくないの?」と聞きました。それに対し寂しげに首を振る父。

そのときに僕は思わず「クラスの子どもたちに会ってみない?」と口にしていました。

父はしわがれた声でこう言いました。「み・せ・て・や・れ」、と。

当然ながら、父の介護を子どもたちにさせたという事実は教員委員会にまで知れ渡り、大きな問題となってしまいます。

そんな中でも臆することなく、病床の父を見るため何度も家にやって来ていた康弘。彼から「将来の夢は医者になることだ」と聞いた僕は、もしかしたら康弘は、死に対して人一番関心を持つ、そんな好奇心の多い純粋な少年にすぎないのではないかと考え始めます。

ところがその矢先、康弘が隠れて父の写真を撮ってしまい、そのことに怒りを覚えた僕は、彼を家から追い出すことになります。

後日、写真を撮ったことへの謝罪の手紙が郵便受けに入っていて、折を見て康弘の家を訪問することにした僕。

彼の家のリビングには再婚前の父親の位牌が飾られていて、それを目にした僕は、康弘がどうして死に対して特別に関心を持つかが分かったような気がしました。

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自分の死期が近いことを悟り、点滴を打つことを強く拒んでいた父がある日、僕に対してこんな言葉を投げかけます。

「いいな先生は──。」

その言葉に、僕は父と同じ職業に就けたこと、父が教師として人生を全うしてくれたことを誇りに感じ、思わず涙を流していました。

そしてそれを最後に、父は2度と目を開くことはありませんでした。

明くる日、見舞いに訪れた康弘が、病床の父から言葉のない最後の授業を受けることになります。

家族に見守られながらこの世を去った父。

葬儀では、教師であった父へのたむけとして『あおげば尊し』が流されることになりました。

参列者は大勢いましたが、やはり教え子の姿はなく、最後まで寂しい先生であった父・・。

そんな葬儀の最中、どこからともなく「先生!」と呼ぶ声がしました。それは父の教え子だったのでしょうか――。近くでは、懸命に『あおげば尊し』を歌う康弘の声が聞こえてきます。

▶▶年老いて寝たきりになった親を介護し、その死を看取る時がいつかやって来る――。そんな、普段目を背けてしまっている現実を強く目の前に突きつけられる物語「あおげば尊し」。

 

作中の父の、体罰すら臆さないその厳しすぎる指導方法は、現代人からすると、大きく問題にされるような非常識なものだったのでしょう。しかし、甘やかされて育った子どもというのは、社会に出た際に往々にして苦労するものです。だから、時には心を鬼にして厳しく教える必要があり、そういう点では、父の教育論は間違っていなかったのかも知れません。でも、死を間際にしてもなお、教え子たちにそのことを理解されずにいるというのはとても寂しく感じます。

 

物語の中で読者に投げかけられた、大きなテーマである『死』。その正体はいったい何なのでしょうか。誰しもが身近に経験するその難問の答えは、自分自身がその時を迎えるまで、分からないものなのかも知れませんね。




本の作者「重松清」の紹介

 重松清(しげまつきよし)

 はこんな人だよ!

重松清さんは昔から大好きな作家の一人で、特に少年少女を主人公にした作品(「きよしこ」「くちぶえ番長」など)が大のお気に入りです。

彼の作品には、人の複雑な感情を繊細に描いたものが多く、傷ついたり・悩んだり・立ち直ったりと、ありのままの姿を見せる登場人物たちの存在にも魅力があります。

ちなみに、作品の一部は学校の教科書にも採用されていて、「卒業ホームラン」「カレーライス」などは小学校の国語の授業でも習います。

また、映像化作品もあって、最近で言うと、2017年にドラマ化された「ブランケット・キャット」や、2018年に映画化された「泣くな赤鬼(短編小説「せんせい。」より)」などが有名です。

感受性の高い「少年少女」はもちろん、傷つきやすい「大人」もつい涙してしまうような感動作ぞろいの重松清文学。

興味を持たれた方は、他の作品も読んでみてはいかがでしょうか。

▼重松 清(しげまつきよし)▼


■人物・略歴

1963(昭和38)年、岡山県久米郡久米町生まれ。中学・高校時代は山口県で過ごし、18歳で上京、早稲田大学教育学部を卒業後、出版社勤務を経て執筆活動に入る。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表する。

■受賞歴

・1991年

『ビフォア・ラン』でデビュー。

・1999年

『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。

・2001年

『ビタミンF』で直木賞受賞。

・2010年

『十字架』で吉川英治文学賞受賞。

・2014年

『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。

■主な作品

『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『ポニーテール』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』『どんまい』『木曜日の子ども』など多数。

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