【読書】短編小説『せんせい。/重松 清』のあらすじと感想|映画「泣くな赤鬼」原作

コーヒを飲みながら読書 読書・小説(重松清)

 こんにちは、

 りんとちゃーです。

2008年に新潮社より『気をつけ、礼。』の表題で刊行され、2011年の文庫化に合わせて現在の名に改題された、重松清の短編小説『せんせい。』

この本は、2018年に公開された映画「泣くな赤鬼」の原作になったことでも知られています。

記事では以下のことをまとめています。

本の内容紹介と収録作品

収録作品全6編のあらすじと感想

著者「重松清」の紹介・プロフィール

物語のおさらいや読書感想文の参考などにお役立てください。




内容紹介と収録作品

せんせい。/重松清
【Amazon.co.jp】せんせい。/重松 清(新潮文庫)

先生、あのときは、すみませんでした――。授業そっちのけで夢を追いかけた先生。一人の生徒を好きになれなかった先生。厳しくすることでしか教え子に向き合えなかった先生。そして、そんな彼らに反発した生徒たち。けれど、オトナになればきっとわかる。あのとき、先生が教えてくれたこと。ほろ苦さとともに深く胸に染みいる。教師と生徒をめぐる六つの物語。

――新潮文庫「せんせい。」内容紹介より

この短編集には以下の6編が収録されています。

■収録作品


・白髪のニール
・ドロップスは神さまの涙
・マティスのビンタ
・にんじん
・泣くな赤鬼
・気をつけ、礼。

以下は、収録作品6編の簡単なあらすじと感想になります。

あらすじと感想

白髪のニール

アコースティックギターを弾く男性

■あらすじ


高校生でバンドを組んでいる長谷川は、ある日、物理の担当教師の富田先生から「ニール・ヤングは知っているか?」と尋ねられます。さらに続けて「自分にギターを教えてほしい」と懇願する先生に、渋々ギターの手ほどきをする長谷川。すると先生から「ロックとは始めることで、ロールとは続けること、すなわち始めたものを責任持ってし続けることがロックンロールなんだ」と話を聞かされます。

 

それを受けて長谷川は「自分は途中で人生を投げ出し、立ち止まっているのではないか・・」と自身を内省しはじめて――。

ジャンルが『ロック』で、聞き慣れないアーティストの名前が何度も登場したこともあって、やや読者のことを置き去りにしてるのではないかと最初は抵抗感を抱きましたが、富田先生と長谷川が語る魅力的な世界観に触れるうちに、次第にそんなネガティブな気持ちも薄れていきました。

人生において、途中で投げ出したり立ち止まってしまうことはよくあります。そんな時にロールし続けること、継続することがどれぼど大切かを、富田先生を通じて教わった気がしました。

ドロップスは神さまの涙

瓶に入ったカラフルなドロップス

■あらすじ


クラスのみんなからいじめられていた私は、避難所として利用していた保健室で「たっちゃん」という男の子と保健室の先生の「ヒデおば」に出会います。

 

「ヒデおば」はぶっきらぼうでおっかなく、生徒からあまり好かれていません。でも、子どもたちのことを誰よりも考えている優しい人で、そんな「ヒデおば」に私はだんだんと心惹かれていきます。

いじめ問題がニュースで取り沙汰される度に、学校や担任の先生、もしくは、監査する側の教育委員会に問題があると批判されますが、そんな世間の実態とは逆に、物語では、いじめを受けている側の視点での心の葛藤が描かれ、読者は二重の意味で考えさせられることになります。

「ヒデおば」は一見すると、恐くておっかない人物ですが、実は生徒の痛みを全部分かっている頼れる存在。そんな「ヒデおば」はきっと、私にとって『かけがえのない先生』だったのでしょう。




マティスのビンタ

バレットと色とりどりの絵の具

■あらすじ


中学時代の恩師・白井先生に会うために、グループホームにやって来た私。認知症が進み、年老いてしまった先生の部屋をお邪魔すると、担当ヘルパーの永井さんから「先生は何と呼ばれていたんですか?」と聞かれ、私は思わず「マティスです」と答えてしまいます。

 

マティスはフランスの画家の名前で、先生は、そんな画家になりたくてもなれなかった人でした。「マティスのように自分には才能がある」と豪語していた先生。しかし、その作品がコンクールで賞をとることはありませんでした。そう、先生には才能がなかったのです――。

いつまでも未練を捨てきれない先生と、過去にとった選択をずっと後悔する私。

才あるものしか上にいけず、無限の可能性など夢物語だと思い知らされる現代社会で、必死に夢にしがみつこうとする人を愚弄することがどれほど残酷なことか、それが大人になって分かったからこそ、私は先生のもとを訪れたのでしょう。

物語の最後、先生が押した手のひらの絵を見て、私は何を思ったのでしょうか――。

かつての苦い思い出への後悔を感じながら「せんせい」と再会し、自身の現在と過去を省みて新たな気付きを得る。そんな主人公の心情の機微を描いた内容には、他の物語にはない味わい深さがありました。

にんじん

とれたての葉付きにんじん

■あらすじ


同窓会の案内を見たわたしは、かつての教え子を思い出します。それは、生理的に受け付けられず嫌悪してしまった、男子生徒の『にんじん』でした。

 

前の先生から担任を引き継いだわたしは、クラスみんなで行う三十人三十一脚の練習で記録を伸ばすために、わざと『にんじん』を補欠にしました。その時の罪悪感がずっと尾を引き、自身が父親になって『にんじん』に心から謝罪したいと思うようになります。その後、同窓会で『にんじん』と再会したわたしは、彼から「先生になった」と告げられて――。

人間である以上、好みというものは当然存在します。食べ物の好き嫌いがその典型でしょう。でも、だからといって、誰かを毛嫌いすることを認めてしまえば、それは、いじめっこがいじめを正当化する言い分と同じになってしまいます。

生まれつき人間は身勝手で、独善的な生き物です。でも、そんな人間の醜い部分が「あって当然だ」という生き方は、やはりすべきではないのでしょう。




泣くな赤鬼

色えんぴつで描いた赤鬼のイラスト

■あらすじ


大学病院のロビーで偶然出会った教え子の斎藤。部活を辞めて学校を中退した彼が、今は会社員となってまっとうに生きていると知ってわたしは驚きます。

 

高校で野球部員だった斎藤は、野球のセンスがあり、甲子園ではきっと主戦力になるだろうとわたしは買っていました。しかし、努力することを怠る性格から、その実力を上手く発揮できず、結果的に期待を裏切られてしまいます。そんなわたしが、斎藤から「実は末期のガンで、余命があといくばくしかない」と告げられて――。

作中で気になった言葉が2つあります。

1つ目は『才能か努力か』です。

いくら才能があっても、努力をしないと成果をあげることはできません。逆に、才能がなかったとしても、努力を継続しさえすれば大きな成果を生み出すことができます。

2つ目は『ほめるかしかるか』です。

成長のパターンには『ほめて伸びるタイプ』と『しかって伸びるタイプ』の2つがあり、その見極めは非常に難しいと言われています。会社においても、上司が部下を指導する際に『ほめる』か『しかる』かで思い悩むことが多々あります。

死期の間際に、斎藤が先生に伝えた「惜しいと言ってほしかった」という言葉。

そこから推測しても、やはり彼は『ほめれば伸びるタイプ』だったようで、それが分かっていたからこそ、先生は自分がしたことをずっと後悔し続けたのでしょう。

久しぶりに再会した教え子が闘病生活を送るという、ややテーマの重い作品でしたが、生徒の斎藤と恩師の赤鬼との絆が美しく描かれていて、哀しくもあたかかみがある、そんな感慨深いストーリーだったと思います。

気をつけ、礼

教室の窓際の机

■あらすじ


少年の家を突然訪問してきた中学時代のクラス担任のヤスジ。高校生になった少年は先生を見て「何のために家にやって来たの?」と訝しみます。ヤスジは社会の先生で、規律や礼儀に厳しい人でした。また吃音で上手く話せなかった少年を気にかけ、面と向かって指導してくれた先生でもありました。

 

そんなヤスジが、教え子の家を訪れては「金を貸してほしい」と頼み込み、金を返さずに姿を消したという噂が街に流れ、それを耳にした少年は、再び吃音に悩まされることになります。

教え子の家族から金を奪って逃げたヤスジは、少年にとって許しがたい存在でしたが、非行に走った自分を諭してくれた唯一の先生でもあったため、心情はとても複雑でした。

学校をサボっても誰も気にかけてくれず、いつも疎外感を抱いていた少年。そんな少年と再会するやいなや、すぐに叱責してくれたヤスジは、憎らしいというよりもありがたい存在だったのかも知れません。



著者「重松清」の紹介

 重松清(しげまつきよし)

 はこんな人だよ!

重松清さんは昔から大好きな作家の一人で、特に少年少女を主人公にした作品(「きよしこ」「くちぶえ番長」など)がお気に入りです。

彼の作品には、人の複雑な感情を繊細に描いたものが多く、傷ついたり・悩んだり・立ち直ったりと、ありのままの姿を見せる登場人物たちの存在も大きな魅力になっています。

作品の一部は学校の教科書にも採用されていて、「卒業ホームラン」「カレーライス」などは、小学校の国語の授業で習います。

また、映像化作品もあって、最近でいうと、2017年にドラマ化された「ブランケット・キャット」や、2018年に映画化された「泣くな赤鬼(短編小説「せんせい。」より)」などが有名です。

感受性の高い「少年少女」はもちろん、傷つきやすい「大人」もつい涙してしまうような感動作ぞろいの重松清文学。

興味を持たれた方は、他の作品も読んでみてはいかがでしょうか。

▼重松 清(しげまつきよし)▼


■人物・略歴

1963(昭和38)年、岡山県久米郡久米町生まれ。中学・高校時代は山口県で過ごし、18歳で上京、早稲田大学教育学部を卒業後、出版社勤務を経て執筆活動に入る。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表する。

■受賞歴

・1991年

『ビフォア・ラン』でデビュー。

・1999年

『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。

・2001年

『ビタミンF』で直木賞受賞。

・2010年

『十字架』で吉川英治文学賞受賞。

・2014年

『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。

■主な作品

『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『ポニーテール』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』『どんまい』『木曜日の子ども』など多数。

コメント

  1. 匿名 より:

    読書感想文の参考にさせてもらいます

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