【読書感想文】「また次の春へ/重松 清(文春文庫)」のあらすじと感想

机に広げられた分厚い本読書・小説(重松清)

 こんにちは、

 りんとちゃーです。

心あたたまる感動的な物語が多い重松清さんの作品の中で、今回は東日本大震災をモチーフにした連作短編小説「また次の春へ」(文春文庫)を読んでみることにしました。

記事では以下のことをまとめております。

本の内容紹介と収録作品

収録作品7編のあらすじと感想(ネタバレあり)

著者「重松清」の紹介・プロフィール

物語の大まかなあらすじの把握や、内容のおさらいとしてお役立てください。




内容紹介と収録作品


【Amazon.co.jp】また次の春へ/重松 清 (文春文庫)

小学3年生、母を亡くした夜に父がつくってくれた”わが家” のトン汁を、避難所の炊き出しでつくった僕。東京でもどかしい思いを抱え、2カ月後に縁のあった被災地を訪れた主婦マチ子さん。あの日に同級生を喪った高校1年生の早苗さん…。厄災で断ち切られたもの。それでもまた巡り来るもの―。未曽有の被害をもたらした大震災を巡り、それぞれの位置から、再生への光と家族を描いた短篇集。

―――文春文庫「また次の春へ」内容紹介より

この短編集には以下の7編が収録されています。

■収録作品


・トン汁
・おまじない
・しおり
・記念日
・帰郷
・五百羅漢
・また次の春へ

以下は本編のあらすじと感想のまとめになります。

あらすじと感想

トン汁

野菜がたっぷり入った食卓の豚汁

■あらすじ


母が突然の病気で他界し、兄弟3人と父親で新たな生活を送ることになったある家族。葬儀か終わり、母がいなくなった居間で、沈鬱な面持ちで家族4人が座っていると、突然、父が「何か食べるか?」と言い出します。どうやら、みんなのために「トン汁」を作ってくれるそうで──。

出来上がった父の「トン汁」は、もやし入りのオリジナルで、体がとても温まるものでした。でも、お世辞にも味は良いと言えるものではなく・・。

だしはとっていないし、豚肉は固いし、もやしの水分で水っぽい。そんなだめな部分を、姉は容赦なく指摘します。

その後も、私たち家族にとって「トン汁」は特別な料理となり、姉は失恋したその日に「唐辛子をかけたトン汁」を食べ、兄は大学時代にスタミナをつけるためにと「卵入りのトン汁」を食べました。

そんな2人も、父親と一緒に食べるときには「唐辛子」や「卵」を入れたりしません。思い出の中の「トン汁」は、やはり父親オリジナルのものだったのです。

ちなみに私は、ボランティア活動の一環で、震災の避難者のために炊き出しの「トン汁」を振る舞っています。

どんな家族にも、その家庭ならではのオリジナルのメニュー・味があります。物語の登場人物たちが「トン汁」に唐辛子・卵を入れたように、料理にはそれぞれの特別な想いが込められるものです。皆さんの家庭では「トン汁」に何を入れていますか?

思い出の味が懐かしくなってお腹が空いてくる、そんな不思議なストーリーでした。

おまじない

公園の遊具の定番ブランコ

■あらすじ


東京のマンションで、体験したことのない揺れの地震を経験したマチコ。テレビをつけて見ると津波警報が発令されていて、警報区域に小学生時代に暮らした町の名前が映し出されます。マチコは、「被災した町のために自分は何もしないでいいのか・・?」と落ち着かない気分になり、町に行くことを決意します。

東北のその町に転校したばかりの頃、クラスの子と親しくなるために、マチコは『東京の遊び』といって、みんなに『おまじない』を教えてあげていました。そして、その中には彼女が創作したオリジナルの『おまじない』もありました。

仕事の合間に休みをとり、泊まりがけでかつての町を訪れたマチコ。避難所となった母校で、彼女は伝言板にメッセージを残します。

クラスの集合写真を持ってきたこと、自分の名前や、今は結婚して東京で住んでいること、被災したと聞いてやって来たこと、よければ連絡してほしいこと。

しかし、誰からも電話はかかってこず、被災した町を車で周りながら、彼女はこんなふうに考えます。

「小さな親切、大きなお世話――。」

東京に帰ってから子どもたちにも指摘されるのですが、どうも彼女のしたことは無神経だったみたいで・・。

どんな親切も、一つ間違えれば相手にとって迷惑になり、偽善とか自己満足と思われかねない。――そんなことを考え、マチコは「自分はいったい何をしているのだろう」と苦笑します。

かつて遊んだ公園を見つけたマチコ。ブランコに近寄ると、頭の中に思い出の友だちの姿がよみがえります。

仲良しの友だちのケイコと公園のブランコで遊ぶマチコ。

彼女のリクエストに応えて、『お別れになってもまた会える』というオリジナルのおまじないを考案し、そして・・。

当時を思い出しながらブランコに近づくと、小学生たちが身に覚えのある合図をしてブランコをこいでいます。それは自分があの時考えた『おまじない』で――。

子どもたちから「学校の伝統なんだ」と教えてもらったマチコ。

自分がつくった「おまじない」が代々受け継がれてきたという事実に、思わず涙が込み上げます。そして、涙の後に見た町は、もうよそよそしいものではなく、自分がかつて暮らしたなつかしい町へと変わっていました。

小学生の一時期に過ごしただけだから・・という思いで、町に来ても自分がよそ者に思えて仕方なかったマチコ。そんな彼女が、自分の「おまじない」を目にし、ここに存在していた証を見つけて涙する最後のシーンは、とても印象深いものがありました。

「おまじない」という子どもの遊びと関連付けて、被災地に関わる人の心情を上手く描き出していたところも、面白みがあってよかったと思います。




しおり

カエデの葉が挟まれた見開きの英書

■あらすじ


高校の入学試験の最中に地震を経験した早苗。その時の揺れは大したことなく、試験はそのまま実施。そして試験後の帰り道、親友の慎也と試験内容の話をすることになります。時は過ぎ――、中学から高校へとバトンが渡される3月に、全てを飲み込む厄災が街を襲って・・。

入学試験時に国語で出題された、相田みつをの詩『しあわせはいつもじぶんのこころがきめる』について考えたことを書け、という問題。慎也はその問題に対して「解答するのが地震後だったらもっといろいろ書けたのに」と早苗に愚痴ります。

また彼は、同じ国語の試験に出題された小説が気になったようで、「持っているなら貸してほしい」と早苗に頼んできます。

3月11日――。

未曾有の地震が街を襲い、不運にも慎也はそのとき海に釣りに出ていて、津波に巻き込まれて行方不明になってしまいます。

早苗は思います。

「自分たちの家は高台にあり、耐震工事もされていたから家にいれば命を落とすこともなかった。あの日、彼が海にさえ行っていなければ・・。」

運命のいたずらを憎く感じる早苗。

月日が経って復興が進み、避難者の数が減っても慎也は見つからず、それでも母親の由美は「息子がいつか帰ってくる」と信じ続けようとします。

しばらくして、母親の由美が「慎也があなたから借りてたものみたい」と言って早苗のところに一冊の本を持ってきます。それは、試験の時に彼女が貸した小説で、中には葉っぱの『しおり』が挟まれていました。

津波による被災者には行方不明者が多く、遺体が見つからなくてその死を受け入れられない、という家族がたくさんいます。

亡くなってしまったと分かれば心から悲しめるのに、わずかな希望が残されるがゆえに、気持ちに踏ん切りをつけらないでいる――、そんな被災者の割りきれない気持ちを、『しおり』と『本』を交えて美しく描いた物語。

「また、明日──。」

そういった『小さな未来がやって来ること』の証となる『しおり』の存在が、どこか切なく象徴的でした。

誰だって将来に大きな災いが起こるなんて想像もしません。しかし、来るべき未来が無慈悲に壊されるくらい、現実というのは残酷なものです。

物語を読んで、今私たちが何の問題もなく生きていることが幸せであること、そして現実世界の理不尽さや割り切れなさに対して、時には踏ん切りをつけなければいけないこと、そういったことを考えさせられました。

記念日

二人の結婚記念日に印をつけたカレンダー

■あらすじ


「担任の先生の発案で、被災者にカレンダーを送ることになった」と母親に話す舞衣。しかし家には新しいカレンダーがなく、仕方なく今使っているものを送ることになるのですが、家族の記念日が書き込まれていて、「さすがにこれはまずいのでは・・」と頭を悩ませます。結局、マークを全て消したカレンダーを送ることになって――。

翌日、学校に集まったたくさんのカレンダー。被災者のことを気遣って、震災の起きた3月以前の部分は切り取り、年間カレンダー以外を送ることになるのですが、そのことが後で大きな問題を招きます。

被災者からの感想を聞いて「自分の配慮が足りなかった」と落ち込む先生。

生徒や保護者にこんなふうに語ります。

「震災を乗り越え、未来を向いて進んでほしい――、その意を込めて4月以降のカレンダーを送ってくれた、という気持ちは被災者に伝わりました。でも彼らにとって一番つらいのは過去がなかったことにされることで、3月以前のないカレンダーは、そういった点で相応しくありませんでした。

もちろんカレンダーを喜んで受け取ってくれた人も多くいました。だから、全てが間違っていたわけではありません。でも同時に全てが正しくもないんです・・。 」

先生の言っていたことを家で両親に話した舞衣は「親切というのは難しく、全員を納得させることなんてできないんだね」と現実の厳しさを実感します。

そんな中で彼女は、「自分たちが送ったカレンダーはどんな人がもらったのだろう・・」と気にかかってきます。

後日、カレンダーの行方が避難所からの連絡ですぐに分かることになります。しかも意外なことに、受け取った佐藤さんというおばあさんが「消していた部分に何が書き込まれていたのか教えてほしい」とお願いしてきたのだそうです。

家族を津波で失ったという佐藤さんに申し訳なく感じつつ、正直に記念日を教えることにした舞衣。

そして月日が流れ、8月の舞衣の誕生日に、見知らぬ相手から宅急便が届きます。

差出人は、なんとあの佐藤さんで──。

中には貝殻のネックレスが入っていて、添えられた手紙に「舞衣さんの誕生日を祝わせてください」と書いてありました。

その後、お礼の電話を母親がかけ、舞衣は佐藤さんと話を交わして、会う約束をすることになります。

それはまさに『新たな記念日』となるものでした。

誰かの記念日が別の誰かの記念日となる――。震災で娘を失った佐藤さんにとって、舞衣やその家族は心の支えともなる存在で、そんな両者がカレンダーを通じて繋がり合うストーリーはとても美しく、心あたたまるものでした。

新しく作られた『記念日』が、素敵な日になることを願うばかりです。

帰郷

夏祭りに吊るされた提灯

■あらすじ


長年住んだふるさとに帰ってきたノブ。しかし、夏祭りを迎えたその村にはかつてのような活気はありません。その理由を彼はこう語ります。「村の土が穢されたから――」。村の恒例行事として、都会に出た人が毎年帰省して参加した夏祭り。しかし今年は誰も帰ってこない状況で、広場に集まった人数を数えながら、ノブは親友のコウジに不満をこぼします。

毒に穢れた村が抱える複雑な問題に直面したノブ。

先行きに不安を感じてこう口にします。

「これから、どうする──?」

未来に対して希望を持ちたい、でもそれが打ち壊されるような現実があって・・。思い悩みながら、彼はどうすべきか次第に分からなくなってきます。

もちろん、そのことは村の住民の誰しもが思っていて、それぞれの意見の対立からか、祭りの場ではいさかいが絶えません。

祭りの後、「こんなことなら夏祭りなどしないほうがよかったな・・」とひとりごちながら、仮設住宅の家で晩酌を啜るノブ。

そこで彼は、ふと中学の国語で習った三好達治の詩を思い出します。

『太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む。』

この詩に対する先生や周りの生徒たちの解釈は「子どもたちを寝かしつける母親の描写」と言うものでしたが、ノブは違いました。

(屋根とは遺骨を埋めた土饅頭のことで、太郎と次郎は生活苦から間引かれたのではないか──。)

その当時、母親が「今、何不自由なく生きれてることが幸せなんだよ」と言っていたことをノブは思い出し、ある思いから、親友のコウジに「寺にあった絵馬堂に行ってみないか?」と誘いをかけます。

お堂にはたくさんの絵馬があり、そこには、幼くして亡くなったり、水子となってしまった子どもに向けて、「死後の世界で幸せに結婚できますように」と願いが書かれてました。

断ち切られた未来と非現実的な願いの数々──。

どれだけいびつなかたちであっても、子どもたちの未来を切に願う親の気持ちはひしひしと伝わってきて、ノブはその想いを受けて強く感じ入ります。

不幸な運命と理不尽な現実――。お堂でノブが見せた祈りは、はたして誰に向けられたのでしょうか。ほのかな余韻を残す最後がとても印象的でした。




五百羅漢

愛宕念仏寺の羅漢像

■あらすじ


教え子の竹内くんから電話を受け、彼の同級生の山本くんの現在について知らされた私。卒業後、両親のいる地元に戻った山本くんは、その地で震災に巻き込まれたらしく、身内や知り合いに被災した者はいないと決め込んでいた私は、不意打ちを食らったような気持ちになります。そして──。

仕事中に震災にあった山本くんの実家は、津波で跡形もなくなっていて、彼の遺品も全て流されていました。そこで、彼の家族が「遺影の代わりとなる写真はないか」と探しまわった末に、竹内くんを通してたどり着いたのがこの私だったというわけです。

翌日、私は、山本くんの写真がないか家の中を探しますが、彼が映ったものは何一つ残っていませんでした。

ふるさとの寺には、「五百羅漢(ごひゃくらかん)」(※1)という石を彫った像があります。

(※1)五百羅漢・・別名「阿羅漢(あらかん)」。敬意を示すべき聖人がモチーフになった像。

この地を訪れる人々は、身内と全く同じ顔をしたものがある五百羅漢を見て、亡くなってしまった親の面影を偲びたいという思いでやって来ます。

幼くして母親を亡くした私には、母の記憶が何一つありません。そして、写真すら残っていなかった母に、いつも会いたいと思っていました。そんな時に親戚のおばさんに連れていってもらったのが「五百羅漢」だったのです。

「五百羅漢」はあじさいの咲く寺の中にあり、おばさんに勧められるまま、私は一つひとつ羅漢像を見て回ります。もちろん母の顔は分かりません。でも確かにそれはありました。

優しく包むような眼差しで佇むその像を目前にして、私は思わず涙を流します。

後日、山本くんの仮設住宅を訪れた私。家には彼のお父さんが留守番をしていて、みんなが送ってくれたという写真を見せてくれました。

若き日の山本くんを眺めながら懐かしげに話す父親を見ていると、私は、写真を渡せなかったことや、教え子のことを何一つ覚えていなかったことを申し訳なく感じてきます。

大切な人を失った時、生きていた頃の姿を思い出させる遺品は、とても大切な役割を果たします。突然の息子の死を受けて遺影となる写真を探す両親と、幼くして亡くした母の面影を探し五百羅漢を訪れた私――。

どこか呼応する2つのエピソードで描かれた「心の痛み」「故人への偲び」といった心情が、今でも印象深く胸に残っています。

また次の春へ

春にほころぶ美しい桜の花

■あらすじ


震災による津波で父と母を失った洋之。そんな彼のもとに一通のダイレクトメールが届きます。宛先は両親で、差出人は北海道のM町の役場。訝しみながら洋之が封を開けると、そこには「メモリアル・ベンチ」という文字が書かれていて──。

メモリアル・ベンチのオーナー宛ての挨拶文ととれる手紙を読んだ洋之。もちろん心当たりがなくて、何のことか初めは分かりませんでした。

ベンチについて調べてみると、どうやら町おこしの一環として始まったものらしく、間伐材で作られたベンチを購入して、名前やメッセージを記念に残すという趣旨が書かれていました。

娘夫婦の挙式の日が間近にせまり、洋之は「彼らを祝福して送り出さなくては」と考えますが、それ以上に悩み事がありました。実は、病院の検査で肺に影が見つかり、精密検査をすることになっていたのです。もし悪性の腫瘍だったら・・そんな不安が洋之の頭をよぎります。

後日、故郷に帰ることにした洋之。かつての旧友と酒を酌み交わしながら、震災による彼らの苦悩や愚痴に耳を傾けます。

その際、洋之は幼馴染みの孝一からこんな話を聞きます。

「運命だったんだ──、誰が悪いとか、誰のせいとかでなく、ただ全てが運のせいだったんだ。」

「確かに・・」と洋之は思います。「運命のせいにすれば救われる。やりきれない思いも全て、運命が悪者になって引き受けてくれる――」、単なる気持ちのことかも知れませんが、なぜだかそう思わずにはいられませんでした。

数日後、北海道のM町を訪れた洋之。そこでは、メモリアルベンチ担当の星野さんが彼の来訪を歓迎してくれ、被災のことを知らずに手紙を送ってしまったことをお詫びしたいと頭を下げてきます。

「いえいえ」と恐縮し、遺体が見つからず、死亡届を出さずにいたから、両親の思い出となるメモリアルベンチがあって本当に良かった、と感謝を伝える洋之。

その後、星野さんに案内されてメモリアルベンチのある公園にやって来た洋之は、桜並木の下のベンチを眺めながら、両親のことを思い出します。そんな彼に星野さんは「この場所では鮭が遡上するんです」と声をかけてくれます。どうやら両親も、その遡上の瞬間を見ていたらしいのです。

鮭は川を登り、産卵してその命を全うします。そして春になると稚魚が川を下り、また大人になってふるさとの川に帰ってきて新たな命を繋ぎます。

遡上してきた鮭を眺める洋之。彼は自身の姿と鮭を重ね合わせます。

一つの命の終わりとともに新たな命がはじまって・・、そうやって命のリレーは続いていきます。病気で自分の命は長くないかも知れないと考えていた洋之は、その地で何を思ったのでしょうか。

命の尊さや儚さ、そして未来を信じ、新たな春がやって来ることを願って必死に前を向いて進もうとする人々の姿が描かれた短編作品「また次の春へ」。その最後にふさわしい、深い余韻の残る美しいラストシーンだったと思います。




著者「重松清」の紹介

 重松清(しげまつきよし)

 はこんな人だよ!

重松清さんは昔から大好きな作家の一人で、特に少年少女を主人公にした作品(「きよしこ」「くちぶえ番長」など)がお気に入りです。

彼の作品には、人の複雑な感情を繊細に描いたものが多く、傷ついたり・悩んだり・立ち直ったりと、ありのままの姿を見せる登場人物たちの存在も魅力になっています。

作品の一部は学校の教科書に採用されていて、「卒業ホームラン」「カレーライス」などは、小学校の国語の授業でも習います。

また、映像化作品もあって、最近でいうと、2017年にドラマ化された「ブランケット・キャット」や、2018年に映画化された「泣くな赤鬼(短編小説「せんせい。」より)」などが有名です。

感受性の高い「少年少女」はもちろん、傷つきやすい「大人」もつい涙してしまうような感動作ぞろいの重松清文学。

興味を持たれた方は、気になる作品を読んでみてはいかがでしょうか。

▼重松 清のプロフィール▼


■人物・略歴

1963(昭和38)年、岡山県久米郡久米町生まれ。中学・高校時代は山口県で過ごし、18歳で上京、早稲田大学教育学部を卒業後、出版社勤務を経て執筆活動に入る。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表する。

■受賞歴

・1991年

『ビフォア・ラン』でデビュー。

・1999年

『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。

・2001年

『ビタミンF』で直木賞受賞。

・2010年

『十字架』で吉川英治文学賞受賞。

・2014年

『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。

■主な作品

『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『ポニーテール』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』『どんまい』『木曜日の子ども』など多数。

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