【本・読書】小説「ビタミンF/重松清」のあらすじと感想|セッちゃんなど

コーヒを飲みながら読書 読書・小説(重松清)

 こんにちは、

 りんとちゃーです。

直木賞受賞作であり、世間的に重松清の名が知れ渡るきっかけとなった名作短編「ビタミンF」。

表題の「ビタミンF」の「F」は、「Family、Father、Friend、Fight、Fragile、Fortune 」などの、各物語のキーワードとなる言葉の頭文字(イニシャル)をとったものです。(――著者あとがきより)

記事では、以下のことをまとめています。

本の内容紹介と収録作品

収録作品全7編のあらすじと感想

著者「重松清」の紹介・プロフィール

物語のビタミンによって元気が湧いてくる、そんな不思議な力を持った小説「ビタミンF」のストーリーを見ていきましょう。




内容紹介と収録作品


【Amazon.co.jp】ビタミンF/重松清(新潮文庫)

38歳、いつの間にか「昔」や「若い頃」といった言葉に抵抗感がなくなった。40歳、中学一年生の息子としっくりいかない。妻の入院中、どう過ごせばいいのやら。36歳、「離婚してもいいけど」、妻が最近そう呟いた……。一時の輝きを失い、人生の“中途半端”な時期に差し掛かった人たちに贈るエール。「また、がんばってみるか――」、心の内で、こっそり呟きたくなる短編七編。直木賞受賞作。

――新潮文庫「ビタミンF」内容紹介より

この短編集に収録されている作品は次の7編です。

■収録作品


・ゲンコツ
・はずれくじ
・パンドラ
・セッちゃん
・なぎさホテルにて
・かさぶたまぶた
・母帰る

以下に、各作品ごとのあらすじと感想をまとめましたので、内容のおさらいにお役立てください。

あらすじと感想

ゲンコツ

仮面ライダーのポーズをとる2人の男性のシルエット

■あらすじ


同期で会社に入社した雅夫と吉岡。二人はともに38歳の中年になり、次第に歳のことが気にかかり始めます。「まだまだ38だ」と言って飲み会の席で仮面ライダーを演じながら若者みたいにはしゃぐ吉岡と、それとは対照的に「もう38だから・・」と若い頃のようにできない今の自分を嘆く雅夫。

 

ある日、雅夫が、街でイタズラを繰り返す少年グループを注意するために、勇気を絞って声をかけたところ――。

物語の最後、少年たちに立ち向かい、さらに洋輔のために勇気ある行動をとれたことに気持ちの高ぶりを覚え、無意識にヒーローポーズを決めた雅夫。

結局、彼は握ったゲンコツを相手に振るうことができませんでしたが、恐怖の対象だった少年たちに立ち向かったことで、若い頃の気持ちを取り戻します。

最後のヒーローポーズはもしかしたら、彼が自信を取り戻し、自らを誇りに思えるようになった『証』だったのかも知れません。

■「ゲンコツ」の名言・名セリフ


「――いつからだろう、歌詞に『愛』とか『自由』とか『夢』が出てくる歌を歌うのが気恥ずかしくなったのは。」

 

▶▶若いときには「夢」「希望」といった言葉を惜しげなく使っていたのに、歳をとるとそれを使うのが気恥ずかしくなってしまう。また、大風呂敷を広げて何でもできると夢見ていたはずなのに、社会に出て現実に触れると、そんな純粋な気持ちも忘れてしまう――。

 

若さの特権と言える「野心」や「大志」。できれば、大人になってもずっと持ち続けたいものです。




はずれくじ

はずれてしまったスクラッチくじ

■あらすじ


妻の淳子が手術で入院し、今まであまり話をしてこなかった息子(勇輝)と2人きりになった父親の修一。息子との接し方に悩んでいた修一は、ある日、道端で「宝くじ売り場」を見かけ、それと同時に自身の父親の昔の姿を思い出して・・。

父親との思い出について、修一は次のように語ります。

「どこにでもあるような裕福でも貧しくもない平凡な家庭で育った私。

そんな家の主(あるじ)である父親が、趣味の変わりに楽しみにしていたのが宝くじだった。

父親が話した『宝くじが当たったらどこにでも行ける』という言葉。

あの頃の父は何を思っていたのだろうか?その日常に本当に満足していたのだろうか?」

物語の最後、修一は、父が実際には宝くじを1枚しか買っておらず、本気で今の日常から逃げ出そうとは思っていなかったことを知ります。

そして。それをきっかけに修一の胸に「勇輝ときちんと向き合おう」という気持ちが湧き起こります。

「宝くじ・はずれくじ」と「2組の父と息子の関係」を対比して描いた物語は面白みがあり、特に現実に向き合う覚悟を決めた修一が息子の勇輝と打ち解け合う最後のシーンが印象でした。

パンドラ

床に置かれた木製オルゴール

■あらすじ


優等生の娘・奈穂美が万引きをして警察に補導され、さらに彼女がヒデという年上の男と一緒にいたと聞き、気が気でなくなる父親の孝夫。

そんな娘の知りたくなかった側面、いわゆるパンドラの箱を開けてしまった孝夫は、妻が初めて抱いたのが自分でなかったことや、自分が最初に付き合った女性のことなど、開いてはいけない秘密の箱に次々と手を出していきます。

物語で一貫して描かれる、女性に対して貞操性を求める父親・孝夫の人物像。

彼ははじめ、未成年の奈穂美が男と関係を持ち処女を失ったことに憤りを覚え、さらに妻の陽子に対しても「初めて抱いた男は自分ではなかったのでは?」と疑念を抱きます。

そういった孝夫の考え方はどこか旧時代的で、「女性はこうあるべきだ」と女らしさを追求する、いわば男尊女卑的な価値観を持つ人間のように思えました。

また孝夫は、娘のパンドラの箱を開けたことを皮切りに、妻⇨自分⇨息子と連鎖的に秘密の箱を開けていくのですが、それはまるでギリシャ神話のパンドラの災いを象徴しているかのようでした。

誰もが生きていく上で何かしらの秘密を抱えています。

そんな秘密の箱を開けたことで始まる一人の男の葛藤を描いた物語には身に迫るリアリティがあり、何だか他人事でないように思えました。

物語の最後、孝夫がオルゴールとともに過去を封印したことで得られたものは、はたして希望だったのでしょうか?

ほのかな余韻を残す結びが印象深かったです。

■気になるワード『パンドラの箱』


「パンドラの箱」は、以下のギリシャ神話のエピソードに由来するものです。

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ある日、最高神ゼウスが不幸や災いの詰まった箱を「絶対に開けてはならないぞ」と言って、地上界の女性パンドラに手渡しました。受け取ったパンドラは好奇心が抑えられず、約束を破って箱を開封。当然、中に入っていた不幸や災いが勢いよく飛び出し、パンドラは大慌てで蓋を閉めます。すると箱には「希望」だけが残って・・。

 

▶▶この「希望」にはいくつも解釈があり、人が絶望的な状況に追いやられた時に「希望」があるからこそ未来を信じて生きていけると捉えることもできるし、箱の視点で見て、マイナスの要素(不幸・災い)がすべて外に出ていったから、プラスのもの(希望・幸福)だけが残ったと考えることもできます。




セッちゃん

赤絨毯に乗ったひな人形たち

■あらすじ


娘の加奈子が話した、クラスのみんなにいじめられている「セッちゃん」という女の子。実はそんな人間は存在せず、いじめられているのは加奈子自身で、彼女が自ら「いじめられっこ」を作り出し、まるで他人のように語っているのだと父親の雄介は気付きます。

 

いじめの事実がないように気丈にふるまう加奈子と、それを見て複雑な心境になる両親。「娘のために何をしてあげるのが正解なのだろう」と悩んだ雄介は、「流し雛」という不幸を背負ってくれる「ひな人形」に願いを託すことにして・・。

波風なく幸せな日常が続いていた家族の中に起きた突然の災い。

本当のことを問いただすべきなのか、それとも嘘を守ってあげるべきなのか――。

加奈子のためにとるべき行動に悩んでいた雄介は、ある日、クラスの担任の先生からこんな話を聞かされます。

「学校で生徒会長に立候補したのは、自分の居場所を失いたくなかったからではないでしょうか。そして、それと同様に、家庭でも自分の居場所を失うまいとしたのではないでしょうか。」

人一倍プライドが高く、リーダーとしての『自分』を捨てれば居場所もなくなると考え、必死に今まで通りの『自分』を演じようとした加奈子。

そのことに気付いた雄介は、「分からなかった自分は本当に馬鹿だな・・」と自嘲します。

ある日、彼は、商店街で「身代わり雛」と書かれたひな人形を見つけ、店の亭主から「これは『流し雛』と言われるもので、川に流せばすべての不幸を代わりに背負ってくれるんだ」と説明を受けます。

そこで、加奈子と一緒に「流し雛」を川に流そうと決意した雄介。

「流し雛」を川に流したからといって現実が変わるわけではありません。でも、儀式というのは本来そういうもので、自分の気持ちに区切りをつけること、または前を向いてもう一度歩けるようにすること、そういったことが真の役割なのでしょう。

はたして加奈子は、「流し雛」によって、ずっと堪えていた涙と心の傷を癒やすことができたのでしょうか。

なぎさホテルにて

ホテルのグラスに注がれるシャンパン

■あらすじ


17年ぶりに家族とともに訪れた海辺のホテル『なぎさホテル』。そこは、父・達也が20歳の誕生日を祝ったホテルで、かつての恋人・有希枝と一緒に泊まった思い出の場所でもありました。

 

当時ホテルでは、未来の指定した日に手紙を届ける『未来ポスト』というサービスが行われていて、達也と有希枝はそれを使って17年後の自分たちに向けて手紙を書いていました。あれから月日が経ち――、手紙を受け取った達也が、再び『なぎさホテル』を訪れると・・。

かつての恋人との再会を期待して、家族とホテルにやって来た達也。

実は今回の旅行は家族としては最後になるもので、妻の久美子とはすでに心が離れていました。

「妻に悪いところがあるのではなく、自分が今の人生に不満を覚えるようになったからだ」と内情を語る達也。

実は彼は「もしも結婚しなかったら別の人生があったかも知れない」と、いつも違う世界を夢見ていたのです。

ディナーが終わってから、部屋でかつての恋人の二度目の手紙を読んだ達也。

その時になってようやく、自分のとった行動がとても身勝手で、妻と子どもと一緒にいる今の家庭がどれだけ幸せかということに気付かされます。

家族最後の思い出ではなく、新たな出発点となった『なぎさホテル』。

物語の結びに描かれた、笑みのこぼれる家族4人の幸せなひとコマが印象的でした。

■気になるワード『もしもゲーム』


「もしもライオンさんが白かったら?⇨しろくまさんと友だちになる。」と言うように、動物を『もしも』でつないで、友だちを増やしていく子どもの遊び。

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娘の麻美と妻がこの遊びをしているのをそばで見ていた達也は、こんなふうに考えます。

 

「子どもの世界で『もしも』という概念がなくなったらつまらなくなるんだろうなぁ・・、でも、大人になってからの『もしも』は、ろくなものが続かない・・。」

 

▶▶子どもの時の『もしも』は、未来に向けての期待を込めた「仮定」でしたが、大人の『もしも』は、これから起こるであろう未来への「不安」や「恐れ」が現れることが多いようです。具体例で言えば、「もしも病気に・・」「もしも事故に・・」「もしもリストラに・・」などでしょうか。




かさぶたまぶた

手当てのための絆創膏と綿棒

■あらすじ


落ち込んだ様子の娘の優香を心配する父の政彦とその母・綾子。ある日、学校で自画像を描いてくるという課題が出されるのですが、それに対し娘は、まるで自分の心の闇を象徴するかのような邪悪な仮面と、雪だるまみたいなからっぽの顔をスケッチし始めて・・。

完璧主義で体面ばかりを重視し、強さを求める父親に、息苦しさを感じる子どもたち――。

大人になると世間体を守るために、虚勢を張ってでも強い自分を演じなければなりません。しかし、実際は人は思った以上に弱く、そんな『弱さ』を子どもたちの前にさらけ出すことで、政彦は傷の入った親子の関係を修復することに成功します。

優香が最後に描き上げた自画像の『目を閉じて笑う顔』。

その絵のことを父親の政彦は次のように表現します。

「もしかしたら、閉じられたまぶたは『かさぶた』なのかもしれない・・」

ふとしたきっかけで壊れ、傷ついてしまった家族の絆。

父親の機転の効いた行動で応急手当てはできましたが、まだそれは『かさぶた』の状態。完全に治るまでには時間がかかりそうです。

その傷が治る『いつか』に向けて、家族がこのまま前を向いて歩み続けてくれることを祈るばかりです。

母帰る

実家の和室に差し込む外の光

■あらすじ


妻の百合と娘2人の家族4人で暮らす主人公の僕は、ある日、姉から父親のことで相談を持ちかけられます。話を聞くと、どうやら父親に「母親にもう一度会って暮らしてみたい」とお願いされたらしくて・・。

この物語では、三者三様の、まったく異なる家族の『かたち』が描かれます。

●長年連れ添った伴侶ともう一度一緒に暮らしたいと考える父親

●優しくいい人だっと思っていた夫が不倫をして離婚したため、女手ひとりで子育てしている姉。

●夫婦仲睦まじく、子どもたちと一緒にに理想的な家庭生活を送る僕。

その中で主人公の僕は、父や姉の現在の状況を『壊れた家族』だと考えるのですが、それに対して姉の元夫の浜野は、幸せになるための一つの方法として、別れる選択肢もあるのではないかと持論を主張してきます。

確かに、離婚は絶対だめだとか、家族とずっと一緒にいるほうが幸せだとかは、単なる価値観の押しつけなのかも知れません。

何が幸せかの定義が曖昧になり、多様性がより意識されはじめた現代。

私たちは、あらためて「幸せ」や「家族」の意味について考える必要があるようです。




著者「重松清」紹介

 重松清

(しげまつきよし)

 はこんな人だよ!

重松清さんは昔から大好きな作家の一人で、特に少年少女を主人公にした作品(「きよしこ」「くちぶえ番長」など)がお気に入りです。

彼の作品には、人の複雑な感情を繊細に描いたものが多く、傷ついたり・悩んだり・立ち直ったりと、ありのままの姿を見せる登場人物たちが大きな魅力になっています。

作品の一部は学校の教科書にも採用されていて、「卒業ホームラン」「カレーライス」などは小学校の国語の授業でも習います。

また、映像化作品もあって、最近でいうと、2017年にドラマ化された「ブランケット・キャット」や、2018年に映画化された「泣くな赤鬼(短編小説「せんせい。」より)」が有名です。

感受性の高い「少年少女」はもちろん、傷つきやすい「大人」もつい涙してしまうような感動作ぞろいの重松清文学。

興味を持たれた方は、他の作品も読んでみてはいかがでしょうか。

▼重松 清(しげまつきよし)▼


■人物・略歴

1963(昭和38)年、岡山県久米郡久米町生まれ。中学・高校時代は山口県で過ごし、18歳で上京、早稲田大学教育学部を卒業後、出版社勤務を経て執筆活動に入る。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表する。

■受賞歴

・1991年

『ビフォア・ラン』でデビュー。

・1999年

『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。

・2001年

『ビタミンF』で直木賞受賞。

・2010年

『十字架』で吉川英治文学賞受賞。

・2014年

『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。

■主な作品

『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『ポニーテール』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』『どんまい』『木曜日の子ども』など多数。

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