こんにちは、
りんとちゃーです。
先日書店に行った際に、新潮文庫から重松清の新作短編精選集「カレーライス」が発売されていたので、購入して読んでみることにしました。
本作に収められている最初の物語「カレーライス」は、小学校6年生の国語の教科書に掲載されるほどに人気がある作品です。
記事では、以下のことをまとめています。
■本の内容紹介と収録作品
■収録作品全9編のあらすじと感想
■作者「重松清」の紹介・プロフィール
すでに読まれた方は、内容のおさらいとしてお役立てください。
本の内容紹介と収録作品
【Amazon.co.jp】カレーライス 教室で出会った重松清 (新潮文庫)
教科書で読んだ物語は、あの日の学校にタイムスリップさせてくれる。給食の味が、放課後の空気が、先生や友だちの声が、よみがえってくる。学習教材にたびたび登場する著者の作品のなかから、「カレーライス」「あいつの年賀状」「もうひとつのゲルマ」の文庫初登場三作を含む9つの短編を収録。おとなになっても決して忘れることはない、子どもたちの心とことばを育ててくれた名作集。
―――新潮文庫「カレーライス」内容紹介より
この短編集には以下の9編が収録されています。
■収録作品
・カレーライス(文藝春秋「はじめての文学」より)
・千代に八千代に(中公文庫「リビング」より)
・ドロップスは神さまの涙(新潮文庫「せんせい」より)
・あいつの年賀状(文藝春秋「はじめての文学」より)
・北風ぴゅう太(新潮文庫「きよしこ」より)
・もうひとつのゲルマ(「小説新潮」2002年2月号より)
・にゃんこの目(新潮文庫「きみの友だち」より)
・バスに乗って(文春文庫「小学五年生」より)
・卒業ホームラン(新潮文庫「日曜日の夕刊より」)
以下は、収録作品全9編の簡単なあらすじと感想になります。
あらすじと感想
カレーライス
■あらすじ
僕は悪くない――。そう言って父親に絶対に謝らないことを宣言する少年。ことの発端は、約束の時間以上にゲームをしていた少年を父親が叱り、ゲームの電源を抜いてしまったことにあって、それに腹を立てた少年は「父親から謝るべきだ」と片意地を張り続けます。そんな中、父親が夕食に早く帰ってくる『父親ウィーク』が始まって・・。
謝ることはできなかったけど、カレー作りを通して気まずくなった関係を修復することができた少年。
物語のラストで、辛いはずのカレーがちょっぴり甘く思えたのは、父親と仲直りできたことへの安堵と、嬉しさの気持ちがあったからかも知れませんね。
誰もが経験する、親に素直になれない子どもの頃のある時期。同じ年代の子どもも、親世代の大人もじんわりと胸に響く、素敵な内容だったと思います。
千代に八千代に
■あらすじ
ひいおばあちゃんの千代さんとその友人の八千代さんは、きんさん・ぎんさんに匹敵するくらいのご長寿コンビ。でも一つだけ問題があって、それは2人が精神的にS・Mの関係だということ。いつも千代さんに注意されてばかりいる八千代さんを見て、私は「なぜいつも二人は一緒にいるのだろう?」と疑問を抱き始めます。
長い間おなじ時間を過ごしたからこそ分かることがある――。
長年連れ添った夫婦にこの言葉が使われるように、端から見たら「なんでそんな?」と思える行動にも、実は大きな意味があったりします。
作中で千代さんは「弱っている自分を見てほしくない」と八千代さんが考えているだろうと察して、相手が望むまで見舞いに行こうとしませんでした。
『喧嘩するほど仲が良い』の言葉通り、世の中にはいろんな人間関係の「かたち」が存在します。
そして、そんな人間関係は、総じて一様に表すことができないものです。
ちなみに、話の途中で「歩けるうちはどんどん歩かなきゃだめ」と千代さんが口にしますが、これを主人公の私は『お年寄りをたいせつに』より重い標語だと表現します。
要するに「余計な親切」は、場合によっては相手にとって迷惑になりかねないと言いたいのでしょう。
歩くのが大変そうだからと言って車で送迎したり、車椅子を勧めたりすると、相手は寝たきりになって歩けなくなってしまいます。本当の気遣いというのは、もしかしたら厳しさの中にあるのかも知れませんね。
ドロップスは神さまの涙
■あらすじ
保健室で出会った「たっちゃん」という男の子。保健室には「ヒデおば」と呼ばれるおっかない先生がいて、私はある理由でそこにお世話になります。その発端となったのが、自分が描いた母親の似顔絵に書き込まれたいくつもの落書きで、それはいじめの始まりでもありました。
いじめられていることを大げさにしないで欲しいと願う私――。
いじめられている子がその事を言えないのには、当人にしか分からない事情があって、正義感や下手な思い遣りでいじめを大ごとにすると、逆効果になってしまうことがあります。
「ヒデおば」は一見すると恐くておっかない人物ですが、実際は生徒の痛みを誰よりも分かっている頼れる存在。そんな「ヒデおば」だからこそ私は心惹かれ、大切な『せんせい』として慕うようになっのでしょう。
あいつの年賀状
■あらすじ
友だちの裕太は気の合うヤツだけど、時々ケンカをすることもある、そんな関係。主人公である僕はその裕太と通算12回目のケンカをするのですが、相手が北海道に行ってしまったため、仲直りができないままになります。そんな裕太に年賀状を出すかどうか迷っていたある日、彼が転校するという話を耳にして・・。
仲の良い友だちとケンカをして、つまらない意地を張ってなかなか仲直りができない──。物語では、そんな誰もが子どもの頃に経験するあるある話が描かれます。
大切な存在はそれがなくなって初めて気付くもの。
家族や恋人・親友がもしかしたら突然、目の前からいなくなるかも知れない。だからこそ今を大切にしなければならない、そんなことを考えさせられる内容でした。
北風ぴゅう太
■あらすじ
小学校のお別れ会の最後の演目として行われることになった『劇』。その書き手役に少年は選ばれます。指名したのは担任の石橋先生で、先生はこんなことを言います。「悲しい結末にはせんでおけよ――」。
実は、先生の娘のゆかりちゃんが心臓の病気を患っていて、もうすぐ手術があるのです。その晩、少年は推敲の末、『マッチ売りの少女』をもとにした物語を作ろうと思い立って・・。
「今日という日は一生で一回の今日、明日は取り替えっこのきかない明日。」
物語の中で石橋先生が口にするセリフで、今を大事にすること、かけがえのない時間を無駄にしないこと、そういった生きる上で大切にすべきことを示してくれます。
少年たちが経験した小学校最後の『今日』はきっと、大人になっても残り続ける大切な思い出になったことでしょう。
もうひとつのゲルマ
■あらすじ
中学に入って、いきなり自分にあだ名をつけてきた同級生の藤野(ゲルマ)。少年につけられたあだ名は『ども』で、それは「吃音(どもり)」という特徴をそのまま表現したものでした。
一見すると悪意のある言葉ですが、ゲルマからしたら他意はなく、ただそういったことに鈍感なだけ。少年は、ゲルマのそんな鈍さに心地良さを覚えます。
障害者が特別扱いされるのを嫌がるように、相手のことを気遣うあまりに、心理的な壁を作ってしまっては元も子もありません。
しかし、だからといって、ゲルマのように無神経すぎるのも困りものです。要は、度を超えないように程度をわきまえるべきなのでしょう。
ちなみに、最近の学校では「あだ名」そのものが禁止されているそうです。私たちの世代からすると考えられないことですが、いじめに繋がってしまうというのが一番の理由だとか。
確かに、悪意のこもったひどい「あだ名」も中にはありましたが、その大半は親しみを込めたもので、大人になっても当時の「あだ名」をニックネームとして使っている人がたくさんいます。
大人の価値観による過剰な制限で、子どもたちに思わぬ悪影響が出なければいいのですが・・。
にゃんこの目
■あらすじ
遠くの景色がにじみ、厚みを失う──、そんな症状に悩まされて私は眼科を受診するが、結果は異常なし。先生は「とりあえず、どういうときに起こるかメモっておいて」と言うけど、思い当たるふしなんてない。でも一つだけ気にかかることがあって・・。
親友に恋人ができて関係が疎遠になり、一人の寂しさから、見る世界に現実味を失っていった少女。そんな少女が、固い絆で結ばれた二人組の女の子に気持ちを和らげるおまじないを教わり、次第に目の不調を改善させていきます。
多感な思春期だからこそ抱く友情や恋愛などの悩み。自分が子どもの頃はどうだったろうかと思い返してしまう、そんな感慨深い内容でした。
バスに乗って
■あらすじ
入院した母親をお見舞いするために一人でバスに乗る少年。今までは母親と一緒だったから、慣れない乗車につい緊張してしまいます。
ある日、回数券を買おうとバスの前に向かうと、そこにぶっきらぼうな運転手が座っていて、少年は「なんだか嫌だな・・」と感じます。その後、もたもたしながら購入する少年を、運転手が「他のお客さんに迷惑だから」と注意してきて――。
そんな出会いからはじまる、運転手・河野さんと少年のひとときの物語です。
ぶっきらぼうな態度とは裏腹に、実際はこころ優しい人間だった河野さん。少年を厳しく注意したのは、周りに迷惑をかけてはいけないという、社会で守るべきルールや常識を教えようとしたからでした。
そんな河野さんとの束の間の交流とともに大人へと成長する少年の姿を描いた本作は、重松文学らしい、優しさのあふれる内容だったと思います。
卒業ホームラン
■あらすじ
息子・智の入学祝いに、グローブを購入した父・徹夫。ある時、息子の智が「自分の父親は甲子園出場経験があるんだ」と友だちに言いふらしたことで、徹夫は不本意ながら少年野球の監督を任されることになります。そんな彼が監督業を実際に始めると、正式なユニフォームだのメンバー募集だのとどんどん話が大きくなっていって・・。
「少年野球」という王道テーマを、家族を絡めた重松清らしい切り口で描いた、本短編最後の物語です。
物語で徹夫が、受験勉強をせずに遊んでばかりいる娘・典子を叱りつけると、こんなふうに反論されます。
「頑張ったってしょうがないじゃん。」
そのとき徹夫は「頑張れば、努力すればいいことはある」と言い切ることができませんでした。
成果主義の世の中では、才能ある人が上へ行き、才無き人はいくら努力してもどうにもならない現実があります。頑張ったのにリストラされてしまうなど、実社会はとても厳しいもので、そんな思いがあったからこそ、徹夫は娘の主張を否定することができなかったのでしょう。
しかし、好きなことであれば、結果いかんに関わらず、どれだけでも頑張り続けられます。
それは勉強でもスポーツでも同じこと。
「報われないことを頑張っても意味がない」ともし言われたら、「なら、頑張れるように好きになろう――」。そう返してあげるべきなのかも知れません。
本の作者「重松清」の紹介
重松清(しげまつきよし)
はこんな人だよ!
重松清さんは昔から大好きな作家の一人で、特に少年少女を主人公にした作品(「きよしこ」「くちぶえ番長」など)がお気に入りです。
彼の作品には人の複雑な感情を繊細に描いたものが多く、傷ついたり・悩んだり・立ち直ったりと、ありのままの姿を見せる登場人物たちも大きな魅力になっています。
作品の一部は学校の教科書にも採用されていて、「卒業ホームラン」「カレーライス」は小学校の国語の授業でも習います。
また、映像化作品もあって、最近でいうと、2017年にドラマ化された「ブランケット・キャット」や、2018年に映画化された「泣くな赤鬼(短編小説「せんせい。」より)」が有名です。
感受性の高い「少年少女」はもちろん、傷つきやすい「大人」もつい涙してしまうような感動作ぞろいの重松清文学。
興味を持たれた方は、他の作品も読んでみてはいかがでしょうか。
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■重松清のおすすめ短編作品一覧|感動し泣ける名作7選(直木賞受賞作含む)
▼重松 清(しげまつきよし)▼
■人物・略歴
1963(昭和38)年、岡山県久米郡久米町生まれ。中学・高校時代は山口県で過ごし、18歳で上京、早稲田大学教育学部を卒業後、出版社勤務を経て執筆活動に入る。現代の家族を描くことを大きなテーマとし、話題作を次々に発表する。
■受賞歴
・1991年
『ビフォア・ラン』でデビュー。
・1999年
『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。
・2001年
『ビタミンF』で直木賞受賞。
・2010年
『十字架』で吉川英治文学賞受賞。
・2014年
『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。
■主な作品
『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』『ステップ』『かあちゃん』『ポニーテール』『また次の春へ』『赤ヘル1975』『一人っ子同盟』『どんまい』『木曜日の子ども』など多数。
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